大梵天寺(PC版にして概要をお読み下さい) 3783

真言三昧流の公式掲示板です。
バーチャル寺院の形式をとっています。
信者さんじゃなくても、お気軽に参拝(書き込み)して行って下さい。
真言三昧流は、「私は信者です」という宣言をしない限り、信者にはなれません。
勝手に信者にされていたりしませんので、ご安心を。
住職は本当は孤独な可哀そうな人ですが、法門の話をする時だけは、役柄上、強気になりますので、ご理解下さい。
真言三昧流に入信なさりたい場合は、その旨、住職までメール下さい。
お金も、詳しい個人情報も不要です。
ですが、本当にこんな宗教、入っちゃってもいいのか、一度、頭を冷やしてお考え下さい。
それでも入りたいならば、家族や友人に相談してみたほうがいいです。
その上で、やはり入りたいならば、とりあえず入ってみて下さい。
信者特典は、ある破壊的カルト教団では、どこかの教団に入会すると除名になります。
「真言三昧流という宗教に入信したので」と言えば、晴れて、その教団を除名されます。
真言三昧流は、近所の公園のように出入り自由です。嫌になったら去ればいいし、戻りたくなったら、戻ればいい。
その都度の挨拶は不要です。こっちも「よく帰ったね」とか言いません。
過去の事も、とやかく言いません。何事も無かったように会話は継続されます。
真言三昧流の教義は、以下の動画をご参考に。
真言三昧流教義


住職のちょこっと法話

1:くわたよしお(住職) :

2019/09/16 (Mon) 22:55:39

住職が思いついた時に法話するスレッドです。
17:くわたよしお(住職) :

2019/10/16 (Wed) 09:52:57

業には、善業と悪業があります。
業自体がエネルギーであり、善のエネルギーと、悪のエネルギーと言い換える事が出来ます。

善のエネルギーは、悪のエネルギーを消滅させ、悪のエネルギーは、善のエネルギーを消滅させます。
貯金と借金の関係です。

業は、行動、言動、想念によって、形成されます。

今回のポイントは、想念です。

呪う、憎悪する、妬む、と言うのは悪の想念であり、悪業を積みます。
(相手の幸運を)祈る、慈しむ、賞賛する、と言うのは善の想念です。

今回、まだまだ災害は続いております。
死者74名。
行方不明者は、十人以上おります。

生存した被災者も、傷を負ったり、金銭で困窮したり、生きる気力すら無いと言う状態であって当然です。

私は幸いにして、台風のそれた地域におりますので、被害には遭いませんでした。
ですが、今回の巨大台風は、反動として冬の大寒波を予測させます。
順番が異なるだけで、次は我々の番です。

さて、スピリチュアル界の人達が、最近、口にするのは「引き寄せの法則」です。
心で思った事は実現すると。

心で思った事が実現するならば、私達が子供の頃に日々、夢見た事が、なぜ実現しないのでしょうか?
これだけで、引き寄せの法則が妄想であるとわかります。

仏教では縁起を説きます。
様々な要因によって、物事は形成されます。
心で念じた事は、その要素の一つに過ぎません。
もちろん、マイナス思考よりも、プラス思考が大事です。
しかし、それだけでは望みは叶いません。

努力、他者の協力、持って生まれたもの、物理的要因、環境的要因、時期、カルマ、神々の導き。
これらが一致した時に、望みは叶います。

ですから私は、引き寄せの法則に批判的です。

引き寄せの法則ではなく、善いカルマを積む事です。
すると、悪いカルマが消えて行きます。
悪いカルマこそ、疫をもたらす元です。
善いカルマを積めば、疫は消えます。
その為には、行動か、言動か、想念で善を積む事です。

被災地から離れている方は、募金する。被災者や救助活動されている方を励ます。
そして、被災者が救われる事を祈ることです。
行動、言動での善に限界があるならば、祈りましょう。
祈りは、相手の魂に伝わります。
目に見えぬ激励です。

そして、これにより、自分自身の悪業が消えて行きます。
疫が消えます。
ですから、自分自身にも福がやって来ます。

引き寄せの法則に頼るよりも、人の幸いを祈りましょう。

たらいに水があります。
これを飲むには、たらいの水をまず、たらいを向こうに傾けて、相手に水を飲ませる事。
そうすれば、反動で、たらいの水は自分に返って来ます。

無神論者は、祈りを嫌います。
私は率直に思います。
そういう人は、他人の幸せも祈っていないのだ。
そういう人なんだと。

恥を捨てて、正座し、合掌して下さい。
まずは、人の為に。

アマテラスオオミカミ

この十音を言葉に出来ますか?
出来ない人は、光よりも闇に近いです。
日本の神の中の神です。
唱えてみて下さい。
必ず何かが変わります。
手を合わせ、礼拝し、

アマテラスオオミカミ
アマテラスオオミカミ
アマテラスオオミカミ

彼らを救って下さい。
16:くわたよしお(住職) :

2019/10/15 (Tue) 07:33:40

祈り所と言うものがあります。
何を差し置いても、祈らねばならない時です。
この祈り所を外してしまうと、とんでもない後悔が、後からやってきます。

ただ、人は祈ってばかりいられないので、国家はヒミコに始まる、専門に祈る人を配置し、現在は、一宗教法人になっておりますが、伊勢神宮がその役を担っております。
天皇陛下も朝拝されているはずですが、お忙しい方ですから、これは徹底されているかどうかはわかりません。

もし、祈らねばならないが、祈ってばかりいられない時は、祈りながら動く。
光明真言や「アマテラスオオミカミ」と言う言葉を、念じながら行動する。
そうすれば、行動が「行」になります。
ですが、座って、声を出して祈る事が最も大事です。

ボランティア活動すら出来ない方は、募金と祈願。
それでも貢献になります。

想念はエネルギーです。
必ず形を結びます。
逆に、マイナスの想念は悪影響になりますので、それを打ち消すように、光明真言やアマテラスの名を念じて下さい。

今が祈り所です。
15:くわたよしお(住職) :

2019/10/14 (Mon) 12:51:32

人間には、五感の他に、直感と言うものがあります。
現在、台風による行方不明者が多数、出ております。
声をかけても、先方には、声を返す体力が、残されていないかも知れない。
意識が混濁しているかも知れない。
こういう時は、五感だけではなく、直感を使ってみて下さい。
直感を研ぎ澄まして、捜索してみて下さい。
もちろん、推理を充分に働かせた上です。
何となく気になる所があれば探してみる。
人間は進化と共に、直感力が低下したと言われます。
しかし、低下したならば、向上させてやればいい。
野生の頃に返って、大切な命を救い出しましょう。
14:くわたよしお(住職) :

2019/10/10 (Thu) 07:25:07

世間的幸福感から抜け出して生きる。
「出世間」の価値観の中で、真言三昧流の行者は生きるのですが、ネットを見ますと(この辺、完全に没世間ですが)、多くの人が「死にたい」「消えたい」と口にしています。
そういう方々に、私が突如、返信するのもおかしいので、何も言わずに見ているだけなのですが、真言三昧流の価値観では、一切皆苦でありますから、「死にたい」「消えたい」は正しい心理状態です。
死にたいほど、消えたいほど、この世は苦しいのです。
その苦しみに耐え抜いた時、過去生の罪業は消え去るのですから、囚人が懲役に苦しむように、今、罪は消えつつあるのです。
映画やドラマのようなハッピーエンドも、素晴らしい人間関係も、この世にはありません。
その事実を知らしめ、だからこそ生きる意味があるのだという知見に至らせるのが真言三昧流の役目であると思っております。
人生は苦しいのです。
だからそ、生きる意味があるのです。
13:くわたよしお(住職) :

2019/10/09 (Wed) 17:22:58

公堂に人を集め、説法する時代では無くなったと、最近、痛感しております。
昔は、「病気」「貧困」など、人々の悩みは一様でした。
説法も「〇〇と唱えれば救われます」などと、一つの処方箋を出せば良かった。

今は違います。
人それぞれに悩みが多種多様化し、また、個性も多種多様化しています。
それぞれの悩みを個別に聞いて、それに対する解決の仕方も、その悩みや、その人の個性に合ったやり方を提示せねば、解決出来ない時代になりました。

人の中に呼び込み、人それぞれの悩みを聞く。
僧堂でじっくり読経していれば、誰かがやって来る時代では無くなったのです。
12:くわたよしお(住職) :

2019/10/07 (Mon) 07:31:05

仏教では、八苦を説きます。
真言三昧流では、これに孤独苦を足して、九苦を説きます。

今回は、怨憎会苦について語ります。
嫌な人と会う苦しみを怨憎会苦と言います。
人は、この世に生まれた瞬間から怨憎会苦を受ける可能性が高いのです。
その相手は実の親です。
人は、自らのカルマを消滅させる為に、最も価値観の合わぬ者を親として選び、生まれて来る事が多いです。

実の親が、そうでなかったとしても、例えば両親が離婚し、母親に引き取られ、母親の新しいパートナーが、虐待を加える、と言う事があります。
こうして最悪、亡くなったお子さんは、無上の苦悩を受けたのですから、解脱か、それに近い所(神々のそば)におります。
ただ、実の母をあの世から心配しております。

親ではなくとも、恋人、結婚相手、職場関係の人など、なぜか、嫌いな人がそばに来るようになってます。
怨憎会苦は怖いです。

怨憎会苦に限らず、苦しみを減らす祈りがあります。
病苦でも、老苦でも、これで癒えます。
覚えて下さい。

「私は、過去生(かこしょう)に積んだ罪によって、この苦しみを受けています。心からお詫び致します。願わくば、神々のお力によって、この苦しみを軽くして下さい」

苦しみが消滅する事は、ほとんど無いのですが、軽く受ける事が出来ます。

お子さんは、この掲示板を読む事が無いと思いますので、お孫さんなどがおりましたら、この祈りの言葉を教えてあげて下さい。

なお、ご自身が親の場合、必ず無意識にお子さんを苦しめています。
ご反省下さい。
11:くわたよしお(住職) :

2019/10/05 (Sat) 07:33:01

日本では、教員が教員をいじめたり、フランスでは警官が警官を撃ったり、香港ではデモ隊に警官が実弾を放ったり、とうとう人類は狂って来たかと言う感想を否めせん。
法律など、彼等は熟知しているのですから、法律を無視しているわけです。

私が前の掲示板から再三、申し上げているのは、「脳は暴走する」と言う事です。
なぜならば、煩悩が脳に巣を作っているからです。

人に対して、「自由にしていいよ」と言うと、必ず悪さをします。
目の前に、美人を置かれて、今晩、自由にしていいと言われたら、どれほどの男が己を制御出来るでしょうか?

よほど自己制御出来ている人は、悪さをしないでしょうが、そんな人物は既にブッダです。

ですから、必要になるのは、法律以前の心の教育です。
それを担当するのは何でしょうか。
江戸時代には、仏教の他に、儒学やら心学がありました。
今の時代でも、それを学ぼうとすれば学べます。
ですが、〇〇学会やら、真理教などの破壊的カルトの出現により、人が、どこかの教団に属する事を毛嫌いするようになりました。

私は、人が宗教を学ぶ時、指導者の下で学ぶと言う形式では、ダメだと思います。
指導者が暴走する危険性があるからです。
バチカン法王も、チベット法王も、暴走する可能性があります。
ですから、真言三昧流では、教義のみを立て、それを立てた私すら、そこに従うと言う形式を作りました。
教団のトップを暴走させない為です。
私も真言三昧流の教義に従い、それから外れる事が許されないのです。

自然に任せると人は暴走します。
ですから、法律で縛るだけではなく、心を養う必要があるのです。
10:くわたよしお(住職) :

2019/10/02 (Wed) 07:37:58

釈尊の教えも、その基盤となるウパニシャッド哲学も、カルマ論をベースにして、物事を考えます。
善いカルマと、悪いカルマがありますが、この世に生を受けたと言う事は、悪いカルマのほうが多い。
つまり、先天的に人は悪人だと言う事です。
悪人であるため、人はこの世に、懲役を受けに生まれて来たのです。
ですから、欲しいものは、なかなか手に入らないし、入っても、奪われるのです。
仏教はたくさんの宗派に分かれておりますが、この思想こそが釈尊の教えの根底にあるものです。

最近のスピリチュアルは、耳ざわりの良い事しか言いません。
引き寄せの法則を繰り返し、「願った事は叶うんだよ」と。
ですが、欲しいものが手に入らないと言うのが、仏教では、デフォルトの考えなんです。
無論、祈祷と言って、お寺はお金を取り、現世利益を表に出しておりますが、あれは商売です。
何度、お寺に足を運んでも叶わないから、人々は新興スピリチュアルに行きますが、同じ事ですよ。

なぜ、真言三昧流が流行らないかと申しますと、第一に、現世利益を表に出さないからです。
「苦しむが良い」と言うのが真言三昧流なのです。
苦を苦と受け止める事で、苦しみは和らぐので、真言三昧流は「苦しむが良い」と言うのです。
これは、特に若者の関心をまったく引かないのです。
しかし、ここにしか真実は無いのです。

真言三昧流が流行らない、もう一つの理由は、教義の押し付けです。
真言三昧流に入った瞬間から、思想的な自由が奪われます。
何故か?
人の人生は短いからです。
迷っている間に歳を取ります。
趣味で宗教をやるなら別です。
ですが、人生どん詰りならば、丸ごと信じて下さい。
私があなたを助けるのではありせん。
神々が、必ずあなたを助けるのです。
目に見える現世利益と言う形ではなく、思いもしない形で、あなたの人生は転換します。
必ず。

甘い事ばかり話す新興スピリチュアルに行きますか?

厳しい現実を話す、こちらに来ますか?
来た以上は、私はあなたを、良くも悪くも放置しません。
私はあなたから金を取りません。
私が詐欺に見えますか?
新興スピリチュアルのほうが、ずっと詐欺に思えませんか?
あなたの判断です。
9:くわたよしお(住職) :

2019/10/01 (Tue) 13:27:06

神が手を差し伸べても、その手を掴もうとしなければ、神は引き上げる事は出来ない。
神など居るか居ないか分からないから、信じられぬと言う者がいるが、居るか居ないか分からないものを、居ると信じるから「信心」と言う。
信心をおこして、見えざる神の手を掴もうする時、神は渾身の力で引き上げて下さる。

神の利益は、わかりやすいものでは無い。
すぐに結果の出るものでもない。
長く信心を続けて行く中で、

「これで良かったのだ」

と、これまでの全てを納得する。
それは何より、見えざる場所で神は働くからである。

人は苦しむ為に生まれて来た。
だから、苦しみをぬぐい去る事など、神には出きない。
だが、母が腹が痛いと言う子の腹に、手を当てて癒すように、神は我々の苦しみに、そっと手を当てる。

多くの人々は、1の苦しみを、2にも3にも捉えて、余計に苦しむ。
1の苦しみは、1だけ苦しめば良い。
神は、その1の苦しみを、さらに少なくして下さる。

アマテラスオオミカミ

と繰り返し、繰り返し唱える。
その時、心の中に、温もりを感じるはずである。
8:くわたよしお(住職) :

2019/09/28 (Sat) 07:30:15

これは私個人の見解です。
10月から消費税が2%上がります。
ある種のカードを用いて、コンビニなどで買い物すれば、少しは還元されるそうですが、その具体的方法については、自分でWebで確認する必要があり、カード発行も自分で手続きが必要です。
私の世代が、Webを自在に操れる世代として、一番上なので、年配の方は、その恩恵を受けられない、と言う事になり、そこまで計算して、政府はこんな制度にした訳です。
消費税は逆進性が極めて高く、累進課税の逆の効果を生みます。
富裕層ほど、消費税のダメージが軽く、貧困層は、僅かな消費税でも、家計を逼迫します。
この恐ろしさは、政治に無関心な方も、来月以降、実感するでしょう。

先日、日本の首相を名乗る方が、国連会議で講演し、日本では不況が無くなったかのような発言をされました。
世界を欺いても、欺ききれません。
円の価値が下落し、先進国としては、考えられないほど「安い国」になったのですから。

この方の政治を放置すれば、生活困窮者は増大し、追い込まれ、死を考える者も増すでしょう。

三権分立も何も無く、独裁性を強め、マスコミまでも懐柔する。
そういう国ありますよね?
北朝鮮です。

人の痛みの分からぬ者を王とすれば、民は地獄を味わう。
我々は、今、それを学んでいます。

国民が政治に関心を持てば、学ばずに済んだ事です。
7:くわたよしお(住職) :

2019/09/23 (Mon) 07:27:32

政治思想には、民族主義(右翼)とグローバリズム(左翼)と言う分類があります。
経済思想には、資本主義(右翼)と共産主義(左翼)と言う分類が出来ます。
(ウヨ・・・嫌中嫌韓、サヨ・・・非嫌中非嫌韓という、ネット独自の分類もあり)

政治思想と経済を貫く、分類方法があります。
哲学的分類と、ここでは定義付けます。
自由主義と社会主義です。
自由主義は、社会の平等よりも個人の自由を。
社会主義は、個人の自由よりも社会の平等を、という思想です。
自由主義は、資本主義との融和性が高く、社会主義は、共産主義との融和性が高いです。
社会主義を共産主義の過渡期と見るのはマルキシズムなので、マルキスト以外は無視していいです。
6:くわたよしお(住職) :

2019/09/22 (Sun) 13:08:47

仏教には、三宝帰依と言うものがある。
仏宝、これは仏菩薩である。
法宝、これは教えである。
僧宝、これは僧伽(サンガ)である。
僧伽とは、教団である。

仏宝や法宝に帰依する意味はわかる。
だが、僧宝に帰依する意味が分からない人は、沢山、いるだろう。
教団と言うのは、全員が善人ではないし、教団を率いる者に、問題がある場合も多い。
それでも、なぜ僧宝に帰依するのか?

初期仏教では、僧伽とは、単純に教団の意味ては無かった。
共に生活し、困った時は、精神的にも物質的にも支え合う仲間。
人生の共同体だった。
まさに、僧伽は家族だった。

犀の角の例えがあるが、釈尊は同時に僧伽も形成する。
やはり、最後は僧伽が必要なのだ。
なぜならば、人は加齢と共に、病気にかかりやすくなり、単独で修行する事が難しくなる。

僧伽は家族であるから、助け合いが出来る。
偏屈な仲間であっても、何を考えているかわからない奴がトップであったとしても、それでも、一人よりはありがたい。
だから、この血の通わぬ家族に対し、「ありがとうございます」と合掌する。
これが僧帰依だと思う。

完全な人間など、どこにも居ない。
不完全だからこそ、助け合う。
釈尊は完全に近かったろうが、その後の教団トップは、色々、問題があったと思う。
当然、教団の仲間は、それぞれ、くせ者だったと思う。
だからこそ、「我、僧伽に帰依し奉る」と合掌する事で、教団がバラバラにならぬように祈る。

真言三昧流では、僧帰依を唱える事は、各自の自由であるが、常に、「教団の皆さんありがとう」の気持ちを忘れないようにして行きたい。

拙い住職で申し訳ない。


サンガン サラナン ガッチャーミー
5:くわたよしお(住職) :

2019/09/19 (Thu) 07:33:08

人は信じられるか?


常盤貴子主演で、専業主婦から弁護士に復職するというドラマがあります。
そのドラマは、「人間は信じられるか?」が一つのテーマになっていると思います。

専業主婦時代に、夫が逮捕された時、10年来、主婦友をやっていた人(夫が逮捕された時に常盤を見離す)の、息子が冤罪で捕まり、常盤貴子がそれを救うのですが、事件解決後、元主婦友が「今度一緒にランチしましょう」と。
常磐は、即座に「口だけだよね。10年間ありがとうございました」と言って去ります。

私の感覚では、人はたいてい、移り気で、弱く、自分を守る事で精一杯。
友だちは「利用」するものだと考えている。
本当に、窮地に手を差し伸べるのは、1パーセントだと思っています。
安倍首相のような人のほうが普通です。

私自身が試されていると思います。
私自身が保身にならないか?
もし、保身に回れば、解脱なんて寝言ですから。

あなたが友人と考えているその人は、1パーセントですか?99パーセントですか?
あなたはそれを、見抜けますか?
4:くわたよしお(住職) :

2019/09/18 (Wed) 07:34:35

困っている人を見ても助けない民族


しばらく前に行われた、とあるアンケートでは、先進国だったかな?
記憶が曖昧なのですが、「困った人がいたら、、国として、助けるべきかどうか?」との問いに、「助けるべきでは無い」と答えた人々の割合が、圧倒的に高いのが日本と出ました。

実に残念な結果でありますが、「さもありなん」と言う気持ちもしました。
日本は格差社会の中におります。
その中で生き抜くには、他人の事など気にしていられない、という事なのでしょう。
自分の家に入った泥棒に、布団や衣まで与える良寛さんのような人物は、消滅しているのかも知れません。

無財の七施と言うものがあります。
それは、検索すれば一発なので、解説しませんが、例えば「笑顔で励ます」と言う無償で出来る行為すら、日本人はしなくなって来ています。
タイは「微笑みの国」と言われますが、日本は「能面」のような国です。
能面のような顔で、ひたすら自分の仕事をこなし、他人の事には関わりたくない。

こんなに自己責任論が浸透した国では、そうなる事は必然でしょう。
私はブログ等で、「隣る人」という記事を書きました。
孤立化した世の中では、「ただ隣りにいる人」がいかに大事かと言う事です。

小説「星の王子様」は、友人を求めて旅する少年の物語です。
旅先で会う人、会う人、ことごとく孤立しています。
なかなか思う所がある小説だと、この歳になってわかります。

群れる人は大勢おりますが、ただ群れているだけではないかという集団もおります。
それでは、孤独は解消出来ないでしょう。
3:くわたよしお(住職) :

2019/09/17 (Tue) 22:23:28

本来無一物(ほんらいむいちもつ)

これは禅語です。
人間は、「おぎゃー」と言って生まれて来た時は、裸一貫で、何も所有していません。
それがやがて、おもちゃを所有するところから始まり、財産を所有し、人間関係を所有する。
しかし、無常の理(ことわり)から言えば、所有しているものなど、何も無いのです。
自分の健康すら、奪われる事もあり、命すら、やがては失ってしまうものです。
まして、財産やら人間関係やらというものは、たまたま、その一瞬、手元にあるだけであり、次の瞬間には、どうなるかわからないものです。
にもかかわらず、人は、それを失うまいと必死になる。
それが「執着」であり、「苦」の原因です。

「本来無一物」と肚に入れて、どんなものにも執着しまいと決心して生きる所に、精神の自由が生まれます。
たとえ、すべてを失っても、「本来無一物」「本来無一物」と念じる事で、苦悩は去り、新たに生き直す事が可能なのです。
財産やら、人間関係などというものは、あれば賜りものであり(それも一時の)、無いのが当然と思い、朝起きた瞬間には、「本来無一物」という気持ちで起きれば、毎日を、生き直す事になります。
2:くわたよしお(住職) :

2019/09/16 (Mon) 23:05:31

自分自身すらコントロール出来ないのに、なぜ、他人をコントロール出来るのか?

釈尊はこのように語っています。
まさに、そうです。
夜中に、かりんとうを一袋、たいらげてしまう私。
まったく、自己をコントロール出来ていません。

ましてや、他人など、風のように気まぐれだと思ったほうが良い。
朝した約束が、夕べには破られる。
それが人です。

それくらい、人というのは弱い。
本当に弱い。

ただ、力強く存在するのは法(ダルマ)のみです。
信仰を強く持ち、他人の挙動に右往左往されない。
それが釈尊の残した、平穏を維持する為の智慧の一つです。

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